雑記

名シリーズの”第一回”を味わおう

第一回です

本日より「机上の暴論」というタイトルでブログを開始させていただくrougeと申します。

さて第一回です。本ブログでは、筆者の楽しいと思うことを、そのまま書いていくととりとめがなさすぎるので、毎回何らかの企画の形で発表していこうと思います。まあ雑記ブログですね。

雑記といっても、ある程度趣味に偏りはあるため、その偏りごとにカテゴリーで分けていきたいと思います。

さて、第一回。筆者の自己紹介などを書くのかなと思い、いろいろと文章をこねくりまわしていたのですが、気づきました。そんなことをしている場合ではないということに。なぜならば、「第一回」について特集できる最大のチャンスは、この一回だからです。

どういうことかというと、例えば「クリスマス」についての投稿はまあ、12月24日とか25日とかにするんじゃないでしょうか(僕はしないと思いますが)。でも、12月24日、25日は毎年来るのです。毎年、それについて特集する必然性のある機会は与えられています。

いっぽう、「第一回」についてはどうでしょう!本ブログの第一回は、この投稿しかないのです。ということは、この投稿で「第一回」について述べなければ、いつ述べるというのでしょうか。

よくわからないかもしれませんが

そういうことで(といってもよくわからないかもしれませんが)、今回は「第一回」の特集です。長く続くコンテンツには、当たり前かもしれませんが、続ける中で一定のリズムというか、広い意味での「ルール」が生まれてくるはずです。

いっぽう、「第一回」の時点ではそれらのルールはまだ生まれていないか試行錯誤段階なので、安定期のそのコンテンツを知っている身からすると、「第一回」はかなり不安定です。しかし、だからこそ、「第一回」は味があり、逆説的ですが、「新鮮」なんです。

そういうことで、多くの人にある程度親しみがあり、言い換えれば「ルール」が会得されているコンテンツの「第一回」を見て、その新鮮さを味わおう。それが、今回の主旨になります。みなさん、よろしいでしょうか。

こちら葛飾区亀有公園前派出所

いわずも知れた長寿漫画。1976年から週刊少年ジャンプで連載を開始し、2016年まで連載を継続しました。全200巻。

40年間の連載の中で様々な変化があるのは当然ですが巻と200巻を比べてまず感じる違いが「線の太さ」と「デフォルメ度」です。

左:200巻/右:1巻
(集英社ジャンプコミックス『こちら葛飾区亀有公園前派出所』1巻、200巻より)

 

ごらんの通り、右(1巻)」は全体的に「黒」く、左(200巻)は全体的に「白」い。

まあ、要するに「劇画」調からだんだんと「まんが」調になっていったということなんですが、1960年代の劇画ブームの名残があるなかでの連載開始となったので当然といえば当然ですね。第一話連載号1)1976年29号。なお、同号へは月例ヤングジャンプ賞への入選作品として掲載されたものであり、連載としては同年42号からスタートしている。の他の執筆陣を見ても、ビッグ錠2)「うんこの香りだあーっ!!」で有名なのは『一本包丁満太郎』のほう。ちなみに、あれはコラ画像。(『包丁人味平』)、池沢さとし(『サーキットの狼』)、村上もとか(『熱風の虎』)など劇画調の作風を持つ作家が軒を連ねていました。

内容についていえば、主人公・両津勘吉(両さん)の無鉄砲さは、シリーズを通して一貫しているものの、時代の影響もあってか初期はより過激で、特に一桁代巻では無鉄砲というかもうほぼサイコなんではというような描写もあります。

サイコ。(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』1巻P16より)

 

その後、人情エピソードとか、サブカルとか、超神田寿司とかが入ってきて、最終的に200巻を迎えることになります。絵も内容も、ともに丸くなりましたね。

特に僕と同じように平成以降に「こち亀」を読み始めた世代にとっては、両さんのキャラをただのサブカルおじさんぐらいの印象で持っている方もいるかもしれませんが、特にそんな方には、最初期のサイコポリスとしての両さんは新鮮に映るのではないでしょうか。

007シリーズ

スパイ映画といえばまあこれでしょう。我々の世代的には小学生のときにやった『ゴールデン・アイ』3)1997年発売のニンテンドー64用ソフト。95年公開のシリーズ第17作である同名映画のゲーム化。FPSの元祖…かどうかはわからないけど、90年付近生まれならFPSの初体験は本作あるいは『タイムクライシス』のいずれかと相場は決まってるで刷り込まれました。

最新作は2015年のダニエル・クレイグ主演のシリーズ第24作4)『カジノロワイヤル』(1967年版)と『ネバーセイ・ネバーアゲイン』はもちろんカウントしないである『スペクター』。この007シリーズの原点は、1962年公開の『ドクター・ノオ』でした。

ただ思うに007シリーズの場合は、「こち亀」のように初期のころから現在までだんだん変わってきたというよりも、主演の俳優が交代するごとに作風が変わっていくという印象。例えば原作に忠実なティモシ―・ダルトン期、荒唐無稽でユーモアに全振りしたロジャー・ムーア期、オサえるべきところを全てオサえて万人受けするピアース・ブロスナン期、という感じです。

なので、逆に第1作の『ドクター・ノオ』についても、今見ても全く古さは感じません(映像の鮮明度、とかの話ではないですよ)。そして地味にすごいと思うのが、銃はワルサーPPKを使う5)厳密にいうと、第1作にてそれまで愛用していたベレッタからワルサーPPKに、上司のMの命令で変更させられてしまうとか、車好きとか、スーツが勝負服、などのメルクマールはすでに『ドクター・ノオ』で提示されてるんですね。極め付けが、最新作のタイトルになっている「スペクター」、これ、敵の組織の名前なんですが、『ドクター・ノオ』のラスボスであるドクター・ノオは「スペクター」の幹部なので、既にシリーズ通じての黒幕の設定ができている(本作で既にできているというよりは、後続作品でそれを捨てずにちゃんと残した、と言ったほうが現実に近いのでしょうが)ということです。

まあ、細かいことをいえば、次作以降お決まりになる『秘密道具』が無かったり、オープニングに歌がなかったり、本作のボンドガールであるハニー・ライダーが、よく考えると物語にあまり関係なく貝を拾ってるだけの金髪美女という点はあるのですが、それらはボンド役の交代による変化に比べれば些細なものでしょう。

ウルスラ・アンドレス演じるハニー・ライダー。貝拾ってるだけ。(『ドクター・ノオ』より)

 

むしろ、最新作の『スペクター』のほうがそれまでのシリーズとは一線を画していて、なにしろ最後、クレイグ=ボンドは「まあ任務より愛だろ。実際。」みたいな選択をするんですね。これまでボンドガールとの関係の多くは任務のためのものであり、ともすれば撃っちゃうこともあったことを考えると、最新作のボンドの選択はすごい大きな変化なわけです。コナンが「真実とは見るものによって異なる」と突然相対主義に目覚めてしまうようなものなわけですね。

ともあれ、骨組みは第1作でできていて、後の作品は各々のアレンジを出していく、というようなことが可能なのは、やはり007シリーズにはイアン・フレミングによる小説という「原作」があるからでしょう。で、その原作の方向に必ずしもそぐわない選択を最新作でしたボンドシリーズには、これからも目が離せません

ちなみに僕が一番好きなのは、ハチャメチャなムーア時代です。『ムーンレイカー』ではタイトルからもわかるようについにボンドが宇宙に行きますが、「スター・ウォーズ6)第1作である「新たなる希望」が1977年公開。SFを大衆娯楽に変えた革新的作品。ちなみに『ムーン・レイカー』の公開は1979年。も流行ったし、宇宙で戦えば売れるんじゃね?」的な発想で作られたのは間違いなく、その思考がムーア=ボンドの軽薄さと相まって最高の作品なのです。

笑点

国民的「日曜日」番組といえば『サザエさん』か『笑点』かの二択でしょうが、『サザエさん』の放映開始は1969年、一方の『笑点』は1966年なので、放送歴としては『笑点』の方に一日の長があることになります。

日曜日夕方枠の番組ということもあって、家族みんなで見れるお笑いがウリの同番組ですが、実は前身の番組である『金曜夜席』は、その名の通り金曜日の深夜番組であり、内容も「家族で観れる」どころかブラックジョーク満載の玄人好みのものであったそう。実際にどんなネタが展開されていたかは、僕の調べた限りでは簡単にアクセスできるアーカイブが無かったわかりませんが、『金曜夜席』7)1965年3月から隔週金曜の夜22時30分から放映されていた。司会者は立川談志。談志は、『笑点』に移行してからも最初の司会を務めた。が落語会の異端児、立川談志の持ち込み企画であったことを考えれば、なんとなく推し量ることはできます。

いまでこそ、落語番組というと笑点かNHKの専門番組ぐらいしか思いつきませんが、放映当時は演芸番組ブームで、落語家の出演する番組が各局に乱立していたそうです。ブラックジョークを売りにしていたというのは、そういった状況のなかで埋没するのを防ぐためだったのかもしれません。

しかし、そんなブラックユーモアを求める談志の姿勢は回答者メンバーの反感を買い、1969年4月には回答者全員が降板するという事態に陥り、同年11月に談志自身も降板。司会者が2代目の前田武彦に代わり、三遊亭円楽(五代目)8)4代目司会者でもある。「馬面」ネタで回答者からよくイジられていた。2009年没。、桂歌丸9)5代目司会者。「ミイラ」ネタなどでのイジられや、三遊亭円楽(六代目)との小競り合いなどで有名。2018年没。、三遊亭小円窓などの69年降板メンバーも復帰し、内容的にもより一般受けするバラエティ路線に切り替りました。その後、司会者の交代や、番組構成の変化10)1996年までは40分番組で、演芸と大喜利の間にゲスト対談等を含む3部構成だった。現在は演芸と大喜利の二部構成。があるとはいえ、おおむね、現在の『笑点』はこの路線変更からの延長上にあるといっていいと思います。

つまり、国民的長寿番組である『笑点』には実は談志以前と以後という断絶があったのでした。よく、「深夜番組からゴールデンに移行するとクセがなくなってつまらなくなる」という言われ方がされ、実際、深夜時代はカルト的な人気を誇っていた番組がゴールデンに移ってから短命に終わってしまう例はいくつか思い浮かびますが、『笑点』のことを考えるとかならずしもそんなことはない、ということですね。

いかがでしたでしょうか

さて、本ブログは(特に「雑記」カテゴリは)おおむねこんな感じで進んでいきます。いかがでしたでしょうか。

あんまりおもしろくない・・・と思われた方も、根気よく読んでいただければ、僕が上に学んで、『笑点』のようにあるとき突然あなたに合ったかんじになるかもしれませんよ。

ともあれ、『机上の暴論』記念すべき第一回は、「第一回」について特集してみました。納得いかなくてもお気になさらず。どうせ、机上の暴論です。それでは。

参考文献
TJ MOOK 『007 ジェームズ・ボンド全仕事』 宝島社(2015)
後藤広喜 『「少年ジャンプ」黄金のキセキ』 集英社(2018)
ぴあMOOK 『笑点 五〇年史 1966-2016』 ぴあ(2016)

References   [ + ]

1. 1976年29号。なお、同号へは月例ヤングジャンプ賞への入選作品として掲載されたものであり、連載としては同年42号からスタートしている。
2. 「うんこの香りだあーっ!!」で有名なのは『一本包丁満太郎』のほう。ちなみに、あれはコラ画像。
3. 1997年発売のニンテンドー64用ソフト。95年公開のシリーズ第17作である同名映画のゲーム化。FPSの元祖…かどうかはわからないけど、90年付近生まれならFPSの初体験は本作あるいは『タイムクライシス』のいずれかと相場は決まってる
4. 『カジノロワイヤル』(1967年版)と『ネバーセイ・ネバーアゲイン』はもちろんカウントしない
5. 厳密にいうと、第1作にてそれまで愛用していたベレッタからワルサーPPKに、上司のMの命令で変更させられてしまう
6. 第1作である「新たなる希望」が1977年公開。SFを大衆娯楽に変えた革新的作品。ちなみに『ムーン・レイカー』の公開は1979年。
7. 1965年3月から隔週金曜の夜22時30分から放映されていた。司会者は立川談志。談志は、『笑点』に移行してからも最初の司会を務めた。
8. 4代目司会者でもある。「馬面」ネタで回答者からよくイジられていた。2009年没。
9. 5代目司会者。「ミイラ」ネタなどでのイジられや、三遊亭円楽(六代目)との小競り合いなどで有名。2018年没。
10. 1996年までは40分番組で、演芸と大喜利の間にゲスト対談等を含む3部構成だった。現在は演芸と大喜利の二部構成。